昭和52年06月07日 朝の御理解



 御理解 第21節
 「信心せよ。信心とは、わが心が神に向かうのを信心というのじゃ。神徳の中におっても、氏子に信なければおかげはなし。カンテラに油いっぱいあっても、芯がなければ火がともらず。火がともらねば夜は闇なり。信心なければ世界が闇なり。」

 昨日ビリグイの初めての秋の大祭を仕え終わって、すぐ書いたらしい手紙が昨日つきました。読んでみましょう。「親先生おかげを頂きまして有難うございます。昨日は秋晴れの快晴に恵まれ、秋季大祭を仕えさせて頂きました。参拝者は60名もの多数にのぼり、仮り、仮りに儲けた祭場にも入りきれず、夢にも思わぬ大盛況のおかげの中に、大みかげを蒙らせて頂きました。参拝者の中には私がビリグイ以来、ビリグイへかこらせて頂きまして、この1月期間におかげを頂かれた、ブラジル人も10名ほど参拝があり。
 サンパウロの遠距離からもよりも、参拝者も10名ほどありました。御祭事は2時より始められ、準備が終わったのは丁度11時でした。準備が終わりお供えになったお供え物を見せて頂いたとき、こみ上げてくる感動を押える事が出来ませんでした。23日の月次祭が終わり、24日から29日までの間におかげを頂いて、有難かったお礼にと言うて、お供えになったものばかりで、三宝がいっぱいになりました。その真心になにより尊さを覚えずにはおられませんでした。
 大祭後お下がりを開かせて頂きましたら、日本円にして約7万円ありました。ついでにこの1月のお下がりを計算させて頂きましたら、9万1千200円ありました。大祭後の直会も随分大掛かりでしたから、お下がりはそちらへ回させて頂こうと思っておりましたら、新田さんが「あれは私がいつもおかげを頂いておりますから」と言って、受け取ろうとされません。食費とか生活費も一切受け取ろうとされず、結局お下がりは全部残る事になりました。
 昨日の大祭に参り合わされたエリザロッチさんが、本日も参拝され「日本の御祭は大変気に入った」と言われました。大祓いにしても御話しにしても、ブラジル人の方達にはさぞかし退屈だったろうと思っておりましたら、そうでもなかったらしく私の話を一番熱心に聞いて頂いたのもブラジル人の方達でした。信心という信心は何一つ出来もせず、この様なおかげを頂きまして、偏に偏に親先生の御神徳による他はありません。
 大祭を終わらせて頂いてこれからは愈々、10月にお迎えする、合楽教会開教10年記念大祭に向かって、全ての信心の真を現して、おかげを頂いて参りたいと思います。今日は夜8時より、今度新しい総代になられた12名の方々が集まられ、新田さんを入れると丁度13名になりますが、大祭後の反省会をさせて頂く事になっております。第一に私の信心のお粗末な事が反省されなければなりません。昨夜一日御用を終わらせて頂いて、一人夜中に御祈念させて頂きながら、1日の事を色々反省させられました。
 親先生にはお手紙で29日の御大祭の事をお願いさせて頂いておりましたが、時間の事をお届けを忘れておりました。それで多分親先生は合楽教会と同じ、10時から御霊様のご挨拶をさせて頂き、10時半からの御祭と思われたんだろうと思います。こちらで御用させて頂いておりましたら、10時半を少し過ぎたころから、急に訳の分からない有難涙がボロボロとこぼれ、どうにもならない有難さが込み上げてきて、何を思っても考えても、大声をあげて泣きたいような感動を覚えさせられました。
 12時を過ぎる頃まで、そういう感動に浸らせて頂きながら、時間を過させて頂きました。その後2時まで時間がありましたので、雑談にふけっておりましたら、有難さがスーっと抜けて肝心の御大祭の時は、先ほどの感動を呼び起こす事なく過ぎてしまいました。本当に責任ある立場の者として、これほど相済まない事はなく、また教会長として大祭の時の心行の大切さを思いしらされました。そう言う事をひっくるめての今日の大祭後の反省でありたいと思います。本日はこれにて失礼します。
 有難う御座いました。ブラジル国の繁栄と平和をお願い申し上げます。合掌」とございます。段々おかげを頂いております。皆さんのお祈り添えもさる事ながら、本人自身のまぁいうならば、命がけでの布教がこの様にいわば実っていっておるわけであります。いうならブラジルのいうなら、ビリグイという小さい小さい町に、いうなら光を灯したわけであります。その光が愈々広く、大きく光り輝くようなおかげを、まぁ願っておるわけですが、ね、お互いの周辺はどうでしょうか。
 消えたり付いたりではないでしょうか。10年信心しておりますもう20年信心しておりますというてもね、皆さんの周囲にどの様な光が灯って、いいやもう私の心の中には光がありますから、と言うてすぐ自分の周囲の人が真っ暗であるとするなら、それはもう本当に自分だけの、それこそ線香のような光と言わなければなりません。ね、カンテラにどんなに一杯油があってもね、火を灯さなければ火は灯らず、灯らなければ自分の心が闇であり、ね、それをいうならば周囲に広げて行くと言った様な事は出来ません。
 本当に反省が必要です。昨日は戎崎さんの所の奥さんの帰幽日でしたから、子供さん達、嫁さん達から孫達まで皆集まって、ここでまぁ4時の御祈念に合わせて、霊祭が御座いました。ご神前でその事をお届けさせて頂きましたら、いわゆる蔓ですね、つるものとも言いますね、その蔓をこうまぁ池坊風に、あの活けておられる蔓をこう。それに根締めに、菊の花を根締めにしておるけれども、矢張りその蔓に添うてその活けなければいけません。蔓はこちらの方へこう流れておる。
 菊の花はこっち向とるではいけませんからね。だからそれを菊の花をこう溜めながら、そしてそれに添うように、それは枝ぶりが大変悪くて、まぁいうなら上手な花ではありませんけれども、もう一生懸命その蔓に添うた根締めをしようと、一生懸命まぁ努めておられるような様子を頂いた。で霊神様の前では、もう菊が咲き乱れております。そこにあの、昔風のつるべ井戸があります。ね。
 そこにあの奥さんの姿を頂きました。ね、いうならば菊の花が咲き乱れておると言う事は、合楽の信心のいうなら恩恵を受けておる、そういう世界に住んでおると言う事でしょうね。つるべ井戸というのはね、自分が汲めばいうならお恵みの水に触れられる、浴されると言う事だと思いますね。どんなに例えば菊の花の咲き乱れておる中に、自分があってもここにつるべ井戸がありましても、それを汲み上げようとするのはお互いなんです。ね、果たしてどの様な汲み上げ方を、お互いしておるだろうか。
 いやそれ前にどれだけかつらというのは、私は桂先生の桂という風に頂きました。いうなら九州の信心、まぁいうならば合楽の信心に、合楽の信心にどれだけ添うと精進しておるかと言う事であります。ね、その精進がです私は光となると思うんです。もうだから精進しない者は、どういう菊の花の中のいうなら咲き乱れておる中に、住もうておりましても、ね、それはカンテラに油がいっぱいあるというだけであります。ね。
 惜しいねまぁ皆さんが、末永先生のんならば修行振りというのを、丁度まる10年間一生懸命修行させて頂きましたが、それはお粗末ご無礼の所は沢山ありましょうけれども、ただもうただ一生懸命精進した事だけは間違いないのです。ね、いうならば親先生に、いわばもう傾倒しきって、修行をさせて頂きました。そしてんなら難しかっただろうかと、決して難しいこりゃいつまっでん合楽で修行せなんじゃろうかと言った様なものは、全然見えませんでした。
 もうそれこそ楽しゅう愉快に信心がでけておったと私は思います。ね、そしてんなら、愈々布教に出らせて頂きましたら、成程10日間だけは誰ぁれもお参りがなかった。壁に向かってただ一心不乱にね、こう御結界ですから壁に向かって座って、ね、そしてそれこそ有難涙がこぼれるような修行をしております。ね、子供が帰るというのに自分だけは、閉口しました。それでもう夫婦が一心にもう切ないあまりに、神様にお願いさせて頂いておりましたら、「帰る帰る」と泣いて言うて。
 帰って言うておりました信太郎が、急に「行くじゃん行くじゃん」というて泣き出したち。もうその時にもうついたものが落ちた様に、心が楽になりましたと言うてある。丁度4日目に大掃除をしなければならないから、ちょっとお広前を空けなきゃならない、それで始めてビリグイの町を散歩をちょっと出ろうかと思うて、2人の子供を連れて出た途端に、初めて日本人の人がお参りして来た。もう出た途端であった。もう愈々神様の厳しさを知りましたと言っておる。
 これは教師として取次ぎ者として、いうならば神様のお働きであったと思わずにはおられません。その次の手紙には、ね、公子がこの頃ここ3日間、もう「帰る、帰る」ちいうて泣きます。これにはもう閉口しております。どうぞお繰り合わせを頂きますようにと言う手紙でした。子供に泣かれる時には、ね、切ないでもね自分の半身である、これから一緒にやっていかなきゃならない公子が、帰る帰ると言い出したと。公子さんが丁度9日目に手紙を出しております。
 その翌日が10日ですから、10日の月次祭を仕えております。そしてその10日の月次祭を終えて、その11日に出しておる手紙が、公子さんの手紙と前後して参りました。公子さんはここでありません、お母さん宛です。もうそれこそあちらでの難儀な状態、あれもなからなければこれもない。あれも送ってくれ、これも送ってくれともう沢山書き並べて、送ってくれと言う事でした。
 はぁそれは愈々そりゃ、ならそげん困っとんならば送ってやらじゃこてとも思いましたけれども読み終わってしまう間に、これは送っちゃならんと思いました。ね、そしたら、1日おいて末永先生がの手紙には、1日の御月次祭にも、夫婦2人で仕えさせて頂きましたから、この度も、やっぱり2人であろうと思うておりましたら、ね、御祭が終わる頃には、4人がけの6コの椅子が、いっぱいでございました。いわば24、5人のお参りがあった。
 それはもう日本の人半日本人の人、それからブラジルの人達ばかりであったと。ね、月次祭を頂いて20何人お参りたらこの頃、ね、公子さんの気持ちが段々変わってきた。丁度結婚記念日に、まる4年になるというて夫婦でお礼を申し上げたという手紙が参りました。そして最近では15人、20人づつのお参りが毎日御座います。殆どがあちらの人ばかり。「こんにちは」というて入ってくるから、こりゃ日本語が分るなぁと思うて、一生懸命話をしておると、涙を流して合点しながら頂くそうです。
 はぁ分るじゃろうかと思うて、「分ったか」ち聞いたら、いっちょん分かっとらんです。けれどもいつも思います、心は通うと言う事です。その証拠には通訳を通して聞かせて頂くと、もう日本人の悩みと同じですて。ね、経済の問題人間関係の問題、病気の問題それこそチンバが立つような、ね、そこれこそ盲が目が開くような奇跡が、毎日連続いたしておりますとこう。恐らくおかげを頂いておる、んならブラジル人の人達は、大祭がどんなもんじゃないからです、ね。
 お参りはブラジルの人達が10名だったというけれども、実はもっと多いのでしょう。とにかく中学校の校長をしておられる方が大変おかげを頂いた。それからは毎日2・3人づつ導いて参って来られると言う様な、おかげを頂いております。度々参ります手紙そして段々おかげを、いうならば光が段々輝かしいものになって来ている。本当に南米の地に合楽の種が蒔かれた。それが芽が出て葉が出ていきよる。ね、いうならば生きた光がそこに現われ出した。
 金光教始まって118年、ね、随分んならハワイとかアメリカにも布教に出られましたけれども、これはもうどこまでも日本人が対照でした。日本人がいうならばビリグイには100軒しかない、丁度この合楽部落を2つ差し出と、石浦を合わした位な所。しかも隣というたら、これから常持までなっと行かにゃ隣がないと言う様な所。ね、だから例えば前の布教部長が、の谷口っちゃんが言われました。
 「もうビリグイと言う所は、もう行ける所じゃありません」ちあります、私も行ってきたけれども行ける所じゃありません。だから行きなさるならば、サンパウロの方へ行って下さい、高橋かなお先生のところには、部屋も2部屋開いておるし、日本人も何十万ておる所だから、それでも語学がなからなければ行ける所じゃないち。その話が本部の方からあやふやになりました。ね、次にんならまた話がありました。今度はそんビリグイから、いわば要請があったわけです。ね。
 ただ看板をかけておるだけで他の宗教やらは、なかなか盛んに発展しよるに、金光教だけは、あって無い様なもんだと。そちらからどうか教師を1人やってくれという願いがあったのに答えて布教部が動き出した。そしてんなら、合楽の修行生が行くというならば、本部派遣と言う事で、という話が進められて、まぁいうならうまい話であった。だんだん調べていかれる内に、何百万という金がいる事が分かってきた。もう手のひらを返すようにでした。
 末永先生が2回目か3回目に呼ばれて、本部にお参りした時には、あのもう派遣ではないと言う事で、そちらで何とか都合、行くなら行ってくれと言う様な事でした。けれどもまぁ初めからいってやる手前に、30万ですかね、旅費切符を買う金を本部から出されました。だからもうそん時に、そげな普通でならば、「そんならもう止めます」というて帰って来るとこでしょうけれども、もうこちらの心は燃えておりますからね、誰が何と言うたって南米に渡るという。
 腹が決めておりますから。その本部で手のひらを返す様な事になってきたけれども、それいうならばおかげを頂いて参りました。ね、沢山の人の祈りの中、祈りを受けて、そしてあちらへ参りました。もうそれこそ神馬にまたがって蹴散らして行くような勢いで、もう本当に不思議な不思議なおかげで、あちらへ着いて、もうその晩に遷座祭をいたしております。おかげでお榊も、荷物の間に当然持っていけれるはずのないお榊が、荷物の中に挟まってあったというし、ね。
 まぁ万事万端の上にお繰り合わせを頂いて、もうその晩に遷座祭を仕えて、もうその翌日から、まぁそれこそ厳しいまでの神前奉仕に、それこそ壁を向かってだるまさんのごたる、ね、一生懸命奉仕させて頂いて、そして10日間、これはもうこんなにお参りがないなら、これはまぁ少し、いよいよ何か考え直しし直さなきゃいけんという途端にお参りがありだした。ね、
 そして愈々お参りが始まったのは13日の日から始まっとります。神様の願いが愈々成就と言う事で御座いましょう、ね。それから2人が3人、3人が10人お参りがあるようになり、最近では24.5名のお参りがある。その殆どがブラジル人だと。ね、長年のいわば金光教の看板をかけてあったから、色々お付き合いの人とか何とかと言った様な感じの人じゃないでしょうか。
 んならあちらへ教師が行ったというても、お参りもしないという程度の信者さんらしいですね、総代さんが10人もおられるけれども、ようこの手紙に書いてありますですね、13人おられる。けれどもその信心と言う様な事やらは、日参をするとかお話を頂くとかと言った様な事やらは、ね、又おかげを頂くと言う様な事は、さらさら分かってない人達のようですね、模様が。ね、
 そういう中にあってです、んならその今新田さんという方のお宅には、不思議な働きが起こったわけです。商売はとにかくもう大変な繁盛続けるそうです。ね、それからもうどんなにしても電話がつかなかった電話がついたそうです、もうこれも神様のおかげ、これも金光さまのおかげと。新田さんが町にお菓子を卸しに回られるわけでしょうか、そしたら思いもない、そのブラジル人達が。
 「あんたんとこには、不思議な神様が来ちゃるげなけん、僕もどうでんこうでん参らせてくれ」ちゅうて、そのブラジル人から言われる。誰が言うて誰が宣伝すりゃ、みんながこんなに知っとるじゃろうかと、まぁだ、だから一遍参ってみろうかという雰囲気は、んならビリグイの町に、一杯あると言う事でしょう。ね、語学がなからなければいけないといわれた。いいやとてもビリグイという町は、前の布教部長はもう絶対行ける所じゃないて断言して言われました。
 それがいつの間にかそういう風に段々なってきて、まぁそこを受けて立たせて頂いたわけですけれども、とてもとても心に光を持たずしては、行ける所じゃないですよね。そしてその矢張り度胸です。信心ちゃぁもう絶対前へ進むより以外ないです。しかもそれが楽しゅうなり、有り難とうなるという信心以外にはないです。ね、それこそ世界の隅々まで、私は今日色々神様にお礼を申させて頂いとりましたら、昔あの昔は海軍旗と言いましたかね。日章旗にひまわりがいっぱいついた。
 それがもうはたはたとこういうならば風ににはためいておるとこを頂きました。ね、ひまわりまた日の出、またはもうそれこそまぁいうなら、世界のあちらこちらへもこの光がね放なっておるそういう感じでした。そしたら今日のこのご理解でした。ね、信心なければ世界は闇なり、けれどもその光を放てる程しの、いうならば宗教が今あるかと言う事であります。
 昨日は教師会でした。旗崎教会で若先生がいつも参りますが、もうあんたん所の親先生しゃっち出て来てくれ、もう一遍一遍でええから出てきてくれち、まぁ善意とも悪意ともつかん様な、そういうまぁ言われたと言う事です。私はいっちょん分からんし先生方の話聞きょっても頭がすぐこんがらがってから、何が何じゃ分らんごつなるです。どう言う様な話が中心であったかと言うたら、本部からもうまぁね御道の教師はその情に人を思う情念が足りない、欠けておるというね人を思う情念がかけておる。ね、
 信者の身の上を本当に夜を徹して祈られたとか、ね、人の難儀はじっとして見ちゃおられん、もう自分の難儀として祈らずにはおられない。それこそ3代金光様じゃないけれども、飛行機の爆音を聞かれては、飛行機の無事を願われ、赤ちゃんの鳴き声を聞かれては、すぐそれを神様にお届けをなさる。人を思ういうならば情念、それが昨日の教師会の芯であったそうです。ね、思えというて思われるでしょうか、ね。思えというて思われるもんじゃありません。
 本当に自分自身が助からずして、自分自身の心の中に光を感じ、力を感じずして祈れる筈はありません。信者の事を願え難儀な氏子の事を願え、通り一遍の願いなら願えましょうけれども、本当にその願いに潤う程しの、祈り願いというものは自分自身が助からなければ、昨日のご理解を頂きますとです、苦しい苦しいそれは丁度私が、ね、何べん歯医者に行ってもこちらへ( ? )じゃけん、そこも悪かここも悪かそれで何べん行ったっちゃよかろうごたるばってん、もう3べんも行ったけん」気の毒して行かれん。
 だから自分でもう痛いばってん、辛抱して柔らもんばっかり食べとった。それを繁雄さん方の息子が来てくれて、色んな機械も持ってきて修繕してくれた。だから自分の思うごとと言うて合わして、いわゆる削ってもろうたら、おかげで楽に食べられるようになった。ね。楽でないならば削らないかんです。ね、本当に楽のままになっておるなら、それでいいです。けれどもままにゃなっとるけれども、痛い痛いでままになっておるとするなら削らにゃいかんです。ね、精進を試みなければいけないです。ね、
 自分の心の中にね、さわやかな光でもね、感じられるだろうか。ね、人にもそれだけ潤わせておるだろうか。ね、信心なければ、それこそ心が闇なり。信心なければ自分の一家が闇なり、信心なければ自分の周辺がもちろん闇である。ね、おかげを頂かないけません。ね、愈々神様がです、いうならば本当に世界を照らすほどしの大きな光を下さろうとしておる様な、今日のお知らせを頂いて感じます。ためにはその光が頂けれるだけの、矢張り力を頂かなければなりません。
 もう合楽の信心もいうならば、南米までにも潤うて行く位な、ものがなからなきゃなりません。ね、所がそれには力が足りない。光が遠くそこには及ばない。ね、そこで神様はね、折角頂いているおかげを落とさせてはならないというて、今ね私の方の椛目が3人ながら、それから私の方は私も含め、もう光昭と家内だけでした。今度あの熱がなかったのは。他のもんはみんなそれぞれ色んな病気で違います。ほんのわずかの間に病気をみんなが致しました。勿論私は病気とは思いません。
 私は貧相病のない世界に住んでると思うから。ね、私はこの貧相病のない世界に住んでおるという、あの自覚ができないかんです。ならそこに成程親先生は糖尿病という病気じゃないですか、扁桃腺がはれて1日休みなさったじゃないですか、けれどもそれは扁桃腺という名の神様のご都合だと分かった時に、病気ではありません。全ての難儀を皆さんがそういう風に頂けたら素晴らしいです。困った事何なんと言わずにです、という名の神様のご都合だと頂いた時に、もうそれは病気ではありません。
 ですからどういうご都合かが分るから、そこへさっと入って行く事が出来るんです。次の信心に飛躍して行く事が出来るんです。ね、私は末永先生は本当に私は、教祖金光大神の言われる事をね、嘘ではない本当だと実証して、実証者にならなければならないと思うとります。ね、皆もこの様なおかげが受けられる、んならそのこの様なおかげになっていかなければならない。神の大恩を知ればね、身代もでけ年勝り、代勝りのおかげが受けられると仰るから、ね。
 お互いがいうならば日勝り月勝りのおかげを頂いてないとするならばです、神の大恩を知っておると言う事は半分しか知っとらん。ただ特別な御利益を頂いた時だけの恩であってね。それとは反対のむしろ切なるまでの神の神愛をおかげと頂ききらんでおる、それではおかげにはならんと言う事です。あれもおかげであった是もおかげであったと本当に分かってお礼が言えれ、そのお礼の信心が精進となって現れて来る様な信心を頂かなけれ頂いて初めて、教祖は嘘は仰ってないなぁと言う事が分かるんです。ね。
 そういう意味で末永先生は私が言うておることを、もう早速一月も足らない間に実証してくれておるという感じがいたします。合楽で修行をさせて頂いておる者には、苦労はさせん。ね、それこそ5年も10年もね、例えば他所のことを言うちゃならんですけれども、沖縄にもう11、2年になる、高宮教会のお弟子さんが出ておられます。ね、けれどもね、先日聞かせて頂いたんですけれども、信者らしい信者はまだでけていないと言う事ですそうりゃ金光教の新聞で宣伝しよりますばってんね。
 親教会の先生が今、あのあれの新聞の何かしちゃりますもんね。あすこの代表です。ですからもう沖縄の、あの遺骨収集とかね、はぁ沖縄教会を取り上げてしたっちゃ、人が助からんなら、やっぱ集まっちゃこんです。ね、そりゃやっぱり金光教という看板をかけとるけん、ね、やはりそのまぁ生活が出来るぐらいの事は、出来るかも知れません。いやそりゃ出来ます。こりゃ金光大神の名において以上、して下さる。これはもうどこの教会にいってもそうです。
 輝かしい光になってないです。ね、だからこれはなら教会だけのことじゃありませんよ。ご信者さんの皆さん一人ひとりがです、本当に光輝くいうならば、おかげを頂くそれこそ菊の花の咲き乱れておるお広前にお引き寄せを頂いておっても、ね、側に例えば井戸があっても、それを汲もうともしなかったんでは、またその蔓に添うおうとね、精進しなかったんでは、ね、菊の花はこっち向いている、蔓のその芯になっとは、こっち向いとる、これでおかげになるはずはありませんよね。
 これに向きを一緒に添う、これに添うてその根占がきちっとでけた時、いうなら見事な御生花なら御生花として呼べれるわけです。ね、私は本当にあの末永先生が、こうして段々合楽の、いうなら光を大きくしていってくれるでしょう。そのいうなら便り見る聞く度にね、何か愈々シャンとせなおられん。いやいや大坪総一郎が言うておる事が嘘じゃないと言う事を、まず皆さんに信じて頂きたいですね。
   どうぞ。